2024年
4月
10日
水
この一ヶ月間は、天候に悩まされました。
竹ドームも、皆が集まれる週末に雨が降り、延期、延期の連続で、ちょっとだけストレスがたまりました。
でも、そのおかげで、習ったマニュアルからいかに発展させられるかを考え続ける時間ができました。
さて、その過程で、私たちは、素晴らしい柿渋屋さんに出会うことができました。
皆さんは、「柿渋」というものをご存知でしょうか?
「柿渋」とは、しぶ柿の果汁を発酵させ、長期間熟成させた日本の伝統的な古塗料・染料です。
竹ドームを作るときに使う割竹の内側の白い部分に、自然塗料を塗ったほうが長持ちすると聞いて親御さんたちに相談していたときに、柿渋がいいんじゃないかというアイディアをいただきました。
そういえば、昔、家作りの時にちょっとだけ使ったことがあったなぁ。
そういえば、近くに柿渋屋さんの看板があったなぁ……。
というわけで、早速二人で伺ってみました。
昔からある大きなお屋敷の門のところに椅子を出して、気持ちの良い春の日差しを浴びながら、年配の男性が日向ぼっこをなさっています。
「すみません、柿渋を買いに来たんですが……」
すると、その男性はニコッと笑顔を浮かべて、私たちをお店の中に入れて下さいました。
あとでわかったのですが、その方は90代半ばで、もう150年も続いているというその柿渋屋さんの代表の方だったのでした。
淹れて下さった美味しい山城さんのお茶をいただきながら、私たちはその代表の方からたくさんのお話を聞かせていただきました。周りには、柿渋を塗った団扇や布、Tシャツ、バッグなどが飾られています。
私は、代表の方の言葉の中から、安全性に対する強い責任感と、自然の素材を使った商品を長い間作り続けてこられた誇りを強く感じました。
「自然の素材で作るものは、出来上がるまで時間がかかります。でも、時間をかければかけるほど、それは熟成されていくんですわ。」「今の時代は、何でもかんでも早さが求められてしまってます。そうでっしゃろ? でも、早く作ろうと思うて安全性を犠牲にするのは、心構えという点でどうかなと思いますなぁ。」
心に沁みました。そして、魂の奥から熱い感情が湧き上がりました。
ゆっくり、じっくり、焦らずに、正しい道を歩んでいこう、そう思いました。
代表の方にお礼を言って、柿渋塗料を買って帰り、早速竹に塗ってみました。
その淡い、うっすらとしたピンクの色は、周囲の自然に溶け込み、夕日に美しく、静かに光っていました。
子どもたちの学び場となる竹ドームの内側に塗られた柿渋が、きっと子どもたちを守ってくれることでしょう。
入学式まで、いよいよあと三日。
天候は大丈夫そうです。
果たして竹ドームの学び舎は出来上がるのでしょうか?
次回の報告をどうぞお楽しみに……。
2024年4月10日
栄 大和
2024年
3月
10日
日
3月になりました。
畑はすっかり春の陽気です。
私たちNARA Steiner Schoolの開校前の準備が少しずつ進んでいます。
今日は、親御さんたちやそのお知り合いの方々に集まってもらって、畑の学び場や苗床、トイレなどに使える“あるもの”を作り始めました。
それは……「竹ドーム」です。
竹ドーム。
ちょっと前まで、その存在すら知らなかった竹で作った建造物。
台風にも雪にも強く、それでいて身近なところにある竹を材料にして作ることのできる半円形の空間。
もし竹を無料で手に入れられれば、かなりのコストパフォーマンスが期待されます。
You Tubeを検索すると、たちまちいろいろな情報が手に入り、それを見ているだけでいつの間にかすべて理解し、自分が簡単にそれを作れるような気になってしまいがちです。
でも……物事はそんなに簡単ではありません。
そこで、妻と二人で竹を切り出して、昨日までの間に、半分のサイズの小さな竹ドームを試しに作ってみました。
昨日までの間に、都合3日間かけて、毎回汗をびっしょりかきながら、そして慣れない作業に戸惑いながら、それでも、なんとか作り切りました。
そして今朝。
集まってきた親御さんたちは、二人で作った竹ドームを見て、びっくりした顔でこう質問します。「わあ、すごい! これって、本当に二人だけで作ったんですか!」
はい、そうです。
そして、今日はそれを皆さんで準備しますよ。
……ということで、早速竹を切り出し、運び出す作業から始めました。
畑のお隣の竹林の方のご好意で、自由に竹を切らせていただき、畑まで運び込みます。次は、その竹を、みんなで六等分します。代わりばんこに重い大きな竹割器を手に持ち、力強い掛け声と共に押し込みます。他の皆さんも、一緒に竹を支えながら、まるでお寺の鐘をつくように、竹を壁に押し当てていきます。どの方も最初はおっかなびっくりだったのですが、すぐに慣れて、真剣に力を入れていきます。
そして、「パカーン!」という音とともに、竹が六つに割けた時の爽快感!
もう本当に最高です。
その後は節の出っ張りをノコギリやナタで平にし、それを焚き火の上であぶって、油抜きをしていきました。
大人たちが真剣に作業しているのをなんとなく感じながら、子どもたちは自由に遊び回っています。
途中の休憩時間には、みんなで持ち寄ったおにぎりやおかずを、分けていただきましたが、子どもたちも大人の方々も、そのおいしさに笑顔が絶えませんでした。
途中、ふと気づいたのですが、もうすでに、畑の学校が始まっているのかもしれません。妻と二人で一生懸命遊んでいる子どもたちを見守っているうちに、なんとも言えない幸福感が湧いてきました。
今日の竹ドーム作りで、皆さんがきっと感じてくださったであろうこと、それは、これまでできなかったことができるようになる喜びだと思います。そしてその感情は、何物にも代えることのできない尊いものだと思うのです。
自然の恵みである竹をいただいて、その重さを感じつつ、地水風火の力を借りながら、それを変容させていく今日の作業が、私たち大人をこの畑の場所に深く結びつけてくれました。
大切な畑、大切な土地、そして、かけがえのないこの地球。
今日、私たち大人たちは、お互いの顔を見ながら真剣に話し合い、協力して手足を動かし、心の底からの満足感を感じました。笑顔を浮かべながらお互いをたたえ合うその雰囲気が、なんとも言えない満ち足りた空気感をこの場に創り出しました。
自分達は、共に汗を流した仲間、子どもたちのためにより良い場所を創ろうとして一生懸命働いている仲間。
これこそが、私たちが子どもたちに渡したい大切なことです。
地水火風とつながり、鉱物界や植物界、動物界とつながる。そして、自分以外の人間と繋がっていく。
そんな努力を真剣に行う大人たちの輪の中で、子どもたちも世界と、地球と、人々と、確かにつながっていけることでしょう。
そして子どもたちは、地球を愛し、そこに存在するすべてのものを愛おしく思い、仲間と共にそこを大切にしていくでしょう。
国際情勢に目を向けると、ウクライナやガザの状況は、ますますひどくなっていっているように感じます。
でも、自分の中に、自分達のいる場所に、真の平和を創っていくことこそが、世界的な紛争を解決する道なのだと私は確信しています。
いつか世界中の人々が平和に暮らせるように、そして誰もが地球を愛し、かけがえのない存在として大切にしていけるように、そのために私たちは、この歌姫の畑で、子どもたちと共に新しい運動を始めています。
明日は、3.11。
13年前の想いをもう一度蘇らせ、犠牲になられたたくさんの方々の想い、困難を共に乗り越えてきた多くの仲間たちの姿を浮かべながら、私たちはこの場所で、平和を形作っていこうと思います。
いよいよあと一ヶ月。
やることはたくさんありますが、自然体で、楽しみながら準備をしていこうと思います。
2024年3月10日
栄 大和
2024年
2月
10日
土
新しいことを始めるには、勇気が必要ですよね。すごく当たり前のことなんですけど、最近、このことを特に考えています。
「勇気」って何でしょう? どんな時に「勇気」が必要になってくるのでしょう?
先日、2ヶ月に一度京都で開催されている「秘教講義」に参加してきました。今月の焦点は“奈落”という言葉でした。講師の高橋巖先生の、短く、しかし深い問いかけに対して、参加者の皆さんが絞り出すようにして話された言葉の一つひとつが、心に沁みました。
奈落−−−−それは自分の心の中にある「闇」。「感情の嵐」、「コントロールできない自分」だと言ってもいいかもしれません。
完璧な人なんて誰一人いませんよね? どんな人であっても、自分の心の中を完全に制御することは不可能です。誰だってエゴがあるし、自分が可愛いし、人から認められたいし、いつも平和でいたい。
でも、日常生活では自分の思い通りにすべてが進むわけではありません。
ですから、ついさっきまで穏やかだった海が突然荒れ出すように、何かの拍子で急に感情が大きく乱れてしまうことがしょっちゅう起こってしまうわけです。
それが「奈落」だと思うのです。
私たちの心の中に、この「奈落」はいつでも存在していますよね?
それは何か特別なことではなく、日常生活の中で常にここかしこに体験することだと思うんです。
例えば、午前中畑に行こうと楽しみにしていたのに、急な予定が入っていけなくなったとか、銀行の窓口で手続きをしているときに細かい書類がたくさんあって、ものすごく時間がかかってしまっているとか。そんな時、ついイライラして、腹が立って、その怒りをどこかにぶつけたくなってしまいませんか?
私はしょっちゅうそれがあります。
そして、そんな時にこそ、奈落への入り口がぽっかり開くのだと思います。
そしてその奈落というものは、究極的に言えば、心の中にある「不安」からやってくるものだと思うんです。
自分でコントロールできない何かって、不安ですよね?
そして、不安な時には誰だって、我を忘れて普段はしないような言動をとってしまいます。
でも、逆に言えば、そんなふうにまさに奈落に落ちそうになってしまう瞬間に、“私自身”が現れるのだと思います。
普段は隠している醜い自分、人には見せたくない素の自分の姿が露わになってしまうのです。
でも……“本当の私”って、誰なんでしょう?
突然現れる醜い自分は、“本当の私”なんでしょうか?
もしそうでないとすれば、“本当の私”はどんな存在なのでしょうか?
そんな瞬間に、もしも、動揺している自分にスポットライトを当てることができて、客観的に自分の様子を見つめることができたとしたら、状況は違ってくるのではないでしょうか? そして、ポジティブにとらえるならば、そのような瞬間こそが、普段は無意識の底に沈んでいる“本当の私”を見出し、その声に従いながら行動できる自分に変わることのできる絶好の機会なのかもしれません。
そして、その時にこそ、真の「勇気」が試される時なのだと思うのです。
私たち一人ひとりが、「勇気」をしっかり持つことができれば、世の中はきっと変わっていくでしょう。ウクライナも、ガザも、そして国内の閉塞した政治の状況も、私たち一人ひとりが勇気を持つことで、きっと変わっていけるのではないでしょうか?
……とは言え、こんなことを書きながら、日常生活の中ではついイラッとしてしまったり、ちょっとした出来事に腹を立ててしまったりして、あとで反省する自分がいるわけですけど……。
さて、立春を過ぎ、春の足音が聞こえてきました。新しいことが始まる季節は、もうすぐそこまで来ています。
私たちのNARA Steiner Schoolも、いよいよ4月に開校します。
すでに入学を決意してくださった親御さんたちは、不安を乗り越え、勇気を持ってここに来てくださったことでしょう。農園を中心としたシュタイナー教育という、まだ形が完全には定まっていない場所に大切な我が子を通わせようと決意されるまでは、きっと長い道のりだっただろうと思います。
そのことを思うとき、心の中がとても尊い気持ちで満たされます。そしてそれが、私たちに勇気を与えてくれるのです。
手つかずのまっさらな砂浜を歩いて行く時のあの新鮮な気持ちを忘れずに、しっかりと勇気を持って準備をしていこうと思っています。
待ち望んでいた春は、もうすぐです。
2024年2月10日
栄 大和
2024年
1月
10日
水
年末に、ずっと手付かずだった、田んぼの上にある二枚の小さな畑の草刈りをしました。早くやらなきゃと思いながら、忙しさにかまけてしまってなかなか手がつけられないことって、普段の生活の中でたくさんありますよね? そうこうしているうちにだんだんプレッシャーが大きくなり、そこから目を背けたくなってしまって、結果的にますますおっくうになってしまう……。皆さんもこんな経験があるかもしれません。
でも、ようやく重い腰を上げて、草刈機を取って、全体をきれいに刈りました。ホッと一息です。
その後、その場所に座って景色を眺めてみたんです。その場所は、農園の中でも一番高い場所にあって、とても見晴らしの良い場所です。そこから眺めてみると、なんかいつもとは違う視点で畑や田んぼの風景が見えてきました。
子どもたちが集まるテントは、あのあたりがいいかもしれないな。あそこに果樹があって木陰ができるといいな。あのあたりはハーブや花が咲いていると美しいかもしれない……。
普段作業をしているところからだけでは考えつかないいろいろなアイディアが湧いてきます。見方を変えると、新しいアイディアが湧いてくるって言うけど、本当にそうだなと思いました。
ところで、この年末年始に、私たちの周りではいくつかの出来事がありました。
詳しくは書きませんが、表面的に見ると、けっこうネガティブなことが連続して起こりました。幸いなことに感情が大きく揺れることはありませんでしたが、どうしてこんなに同じようなことが続くんだろうと、ちょっとだけため息をついたりもしました。
でも、少し時がたって、それらのことを思い起こしてみると、まるで小高い丘の上から眺めたように、一つひとつの小さな出来事によって生じた結果が、ひとつの大きな風景のように見えてきたんです。そしてそこにはネガティブなものは何ひとつなく、結果的に、進むべき方向に私たちを導いてくれていたことがわかりました。
そういうことだったのか、と腑に落ちました。
その中で、とても大切なメッセージだと感じたことの一つが、「コミュニケーションをしっかり取る」ということでした。
自分達の活動だけを考えていると、周りにいる立場の違ういろいろな人たちへの配慮をいつしか忘れてしまい、だんだんと横柄になってしまいがちです。
でも、初心を忘れずに、丁寧に、かつこまめに会話をしながら、自分達だけに都合の良いように活動を行なっていないかどうかを省みる。
そう考えたら、「コミュニケーションをしっかり取る」ということは、「謙虚さを持ち続ける」ということと一セットになっていることだなぁと感じました。
謙虚さは、日本人の持つ美点のひとつだと思います。でも、そのとても大切なところがおろそかになっていたなぁと痛感しました。気をつけなきゃ。
そうして、こんなふうに大きな視点でそれらの出来事を振り返ってみた後で感じたことは、「信頼感」でした。
自分の狭い意識や思考の及ばない大きな力が確かに働いている。それらの働きによって、必要なことが、必要な時に、起きている。
素直に、そう感じることができました。
ちゃんと守られている、頑張ってねと支えられている。だから、しっかりメッセージを受け取りながら、やるべきことをやっていこう!
いつも思うのですが、この時代に必要な方向に向かって進んでいれば、そうして自分の小さなエゴを超えて活動していけば、きっと導かれるところに導かれていく。
こんなふうに感じられたら、安心しますよね?
というわけで、いろいろな“事件”が起こった年末年始でしたが、結果的に力強い後押しを感じることができて、良かったなと思っています。
国内でも、海外でも、胸を痛める出来事が続いています。当事者になられた方々の苦しみ、悲しさ、切なさを思いつつ、そして祈りを送りつつ、私はこの場所で、自分にできることにしっかりと取り組んでいこうと思います。
世界がいつか平和になりますように。子どもたちが笑顔で暮らせる未来になりますように。そしてそのために、より意味のある大切な2024年になりますように……。
2024年1月10日
栄 大和
2023年
12月
10日
日
かつて藤野で担任をしていた頃、私は、毎日のように、ギターを奏でていました。
子どもたちが帰り、静まり返った放課後の教室の片隅で、その日あったさまざまなことを自分の中に深く沈め消化するために、そして心の奥の本来の自分に繋がるために……。
シュタイナーカレッジの教員養成過程を卒業した時、それまでにずいぶんとお世話になっていた故メアリー・エレン・ウィルビーさんが私に向かって真剣な表情でこうおっしゃいました。「シュタイナー学校の担任は孤独だよ。でも、だからこそ何か楽器を手に取り、いつも演奏をしなさい。そうしたら、孤独ではなくなるから……。」
音楽や芸術には、私たちの日常生活を超えることのできる力があります。そうして、その力によってつながることのできる世界こそが、クラスの子どもたちと深く通じ合える世界なのです。私は、そのことを、8年間のクラス担任時代に自分の体験として学びました。
さて、この1ヶ月間は、たくさんの親御さんや子どもたちが畑にやってきてくださったり、お話をしにきてくださったりしました。体験会としての「うたひめ農園の日」と、入学・転入学のための「お話し会」。私たちはあまり宣伝が得意ではないのですが、いろいろなつながりで、多くの方々が足を運んでくださいました。
これまで書いてきたように、私たちはこの一年で、少しずつ、でも確かに、農園での学校の準備を進めてきました。名前も「NARA Steiner School」に決まり、シュタイナー学校や人智学関係のたくさんの方々から、好意的なお声をかけていただきました。具体的なカリキュラムを考えながら、より現実的なイメージが見えてきていました。
でも……、子どもたちが実際に畑にやってきてくれたその日から、そのビジョンがより生き生きと動き始めたのです。
ある男の子は、田んぼに置かれた足踏み脱穀機を使って、稲の束をしっかり握りながら脱穀作業をしてくれました。大人の人でも躊躇してしまうような仕事に、初めて見たにも関わらず、その子はとても集中して取り組んでくれました。
別の子は、2メートルほど下にある用水路からバケツに水を汲んでくれました。どのくらいの量の水だったらロープで引き上げられるだろうかと考えながら、自分の限界に挑戦しながら水を汲み、それを30mほど離れた田んぼまで運んでくれました。
一輪車の“運転手”の仕事をやってくれた子もいました。落ち葉がたくさん落ちているクヌギの木などがある林に一輪車を動かして、集めた葉っぱを一輪車に乗せ、それが下り道で落ちないようにと慎重に“運転”しながら、無事目的地の焚き火のところまで辿り着いた時の、その子の満ち足りた顔。
高く積まれた薪と落ち葉の山の前に来て、「今から火をつけるよ」と言うと、「えっ、本当につけるの!?」とびっくりしていた男の子もいました。実際にマッチの火がつき、それが燃え移り、火が大きくなっていく場面を初めて見た時の、こわごわとした、でも興味に満ちた表情。
そして、出来上がった焼き芋の美味しい匂いをかいだ途端に、パッと輝いた子どもたちの顔、そしてそれをほおばった時の満面の笑み……。
畑の中で活動する子どもたちの顔は、本当に生き生きとしています。それを見ると、私の心の中にも、強い熱が湧いてきます。ここを、この子どもたちがより輝ける場所にしていこう、その想いが燃え上がるのを感じるのです。
ここに来てくれる○○くんや○○さんのために、より良い活動を作っていこう、そう考えた時に、カリキュラムには命がこもっていきます。
まるで、それまで止まっていて、ただ壁にかけられていた絵が、動き出し、色彩がより鮮やかになるように、ここまで準備してきたものに熱い血液が通い出し、生きた存在のようになり、それによって、1年の活動がとても具体的に生き生きとイメージできるようになっていくのです。
シュタイナー教育は、「教育芸術」だと言われます。それは、自分達の目の前に来てくれる具体的な子どもたちと魂の奥底でつながり、イマジネーションの力を使って彼らに必要な活動を創造していくプロセスが、日々の教育活動の核となっているからだと思います。
藤野で、ギターを弾きながら子どもたちの魂とつながろうとしていたように、今私は、うたひめ農園という場所で、子どもたちの魂とつながろうとしています。
畑に、実際に子どもたちが来てくれて、一緒に過ごしたことによって、NARA Steiner Schoolに、尊い生命の火が灯されました。このともしびをしっかり守りながら、より確かなものにしていくことが、ここから新しい年に向けての私たちの仕事です。来てくれた子どもたちの顔を具体的に思い浮かべながら、そしてまだ出会っていないたくさんの子どもたちの顔を思い描きながら、彼らと「地下の通路を通って」つながれるように、準備していきたいと思います。
この一年で出会ったたくさんの方々に心から感謝します。2024年が、世界中の子どもたちにとって素晴らしい年になりますように……。
2023年12月10日
栄 大和