田んぼが黄金色に染まる秋が、今年もまたやってきています。
昨年と同じように、田んぼのお隣の竹林を所有していらっしゃるIさんのところの竹を切らせていただきました。メッセージを入れるとすぐに温かい言葉を添えて返してくださるIさんの優しさが心に沁みます。これでハザ掛けの準備はバッチリです。
さて、昨日の朝のこと。私がノコギリガマで竹ドームの前の草を刈っていると、Aくんがやってきて一言、「やっていい?」
「おっ、手伝ってくれるの? もちろんいいよ!」
そうして私は、大人が使うのと同じカマを渡し、Aくんに草刈りをしてもらいました。
危ない使い方をしないように見守ったり、時にはやり方を教えたりしながら、でも基本的には彼がやりたいようにやらせてみました。
その様子を見ながらつくづくこう感じたのです。
本当の学びは実生活の中、生きることの中にある、と。
そして、そのためには、本当に生活のために役立つことを、見える形で行っている大人がいればいいんだなぁ、と。
竹ドームの周りの畑や田んぼは見た目以上に広く、草刈り機で草刈りをすることもよくあります。でも、私が草刈り機を使っている様子を目にしても、子どもたちはそれを真似しようとはしません。でも、シンプルな道具を使って仕事をしていると、それを真似ようとするのです。
今朝も同じようなことがありました。
ハザ掛けのための竿を立てる支柱の部分を立てようと、脚立に乗り、大きな木づちを振り上げながら竹を打ち込んでいました。すると、またまたAくんがやってきて言うのです。
「やってもいい?」
1年生にはまだ早いのでは、という声が自分の内側から聞こえてきます。子どもを脚立の上に上がらせてもいいのだろうか? 木製の木づちは、彼には重すぎて危ないのではないだろうか? ケガをしたらどう責任が取れるのだろうか……etc。
でも同時に、彼の内側から湧き起こるやりたい気持ちを大事にしなくてどうする、というもう一つの声も聞こえてきます。
自分の中にあるすべての枠/“常識”を取り払ってみて、心をまっさらにしてAくんの顔を見たときに、「やらせてあげるしかないでしょう!」と判断したのです。
脚立をしっかり押さえ、必要なところまでゆっくり上がらせて彼の体を支えてあげながら、木づちを、宝物を渡すように手渡しました。
すると彼は、嬉しそうにそれを手に取り、真剣な表情で竹に当たるように振り下ろしながら木づちを打ち込んでいました。
短い時間でしたが、その仕事をやり終えた時の表情は、とても誇らしげでした。
そのうちみんなで稲を刈り取ります。そうして、その後にハザ掛けをするとき、Aくんは自分の行った仕事がみんなのために本当に役立つ仕事であったことが実感できるでしょう。
誰かの役に立つことを自分ができた、それが感じられたという体験は、本当にかけがえのないものだと思います。
一日一日の体験の積み重ねが、子どもたちの心の中に大切な自己肯定感を刻み込んでいってくれるでしょう。そして、それが自分は他の人のために役に立つことをこの手で行えるという自信にもなっていくでしょう。
竹ドームの中での学びももちろん大事です。詩を唱えたり歌を歌ったり、話を聴いて絵を描いたり文字を書いたり……そんな室内での活動と同じくらい、畑の中やその周辺での活動も大切です。
その二つの学びがリンクし合っていくことで、子どもたちは生きるために大切なことを心に刻み込んでいくのだと感じています。
農園ベースのシュタイナー教育、それはより良い未来を創っていくための、私たち大人に課せられた挑戦です。
困難なことは数多くありますが、それでも日々子どもたちは大切なことを学び、受け取り、その魂に刻み込んでいっています。
そんな子どもたちと共に時間を過ごせることを心からありがたく感じる毎日です。
青く澄んだ空、黄金色の田んぼ、カボチャや黒豆が毎日毎日大きくなっていく畑。
子どもたちとのかけがえのない時間を、私たちも魂に刻み込んでいる美しい秋です。
2024年10月10日
栄 大和
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