エクストラレッスンのご案内
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2024年

2月

10日

14「勇気」とは?

新しいことを始めるには、勇気が必要ですよね。すごく当たり前のことなんですけど、最近、このことを特に考えています。

「勇気」って何でしょう? どんな時に「勇気」が必要になってくるのでしょう?

 

先日、2ヶ月に一度京都で開催されている「秘教講義」に参加してきました。今月の焦点は“奈落”という言葉でした。講師の高橋巖先生の、短く、しかし深い問いかけに対して、参加者の皆さんが絞り出すようにして話された言葉の一つひとつが、心に沁みました。

 

奈落−−−−それは自分の心の中にある「闇」。「感情の嵐」、「コントロールできない自分」だと言ってもいいかもしれません。

 

完璧な人なんて誰一人いませんよね? どんな人であっても、自分の心の中を完全に制御することは不可能です。誰だってエゴがあるし、自分が可愛いし、人から認められたいし、いつも平和でいたい。

でも、日常生活では自分の思い通りにすべてが進むわけではありません。

ですから、ついさっきまで穏やかだった海が突然荒れ出すように、何かの拍子で急に感情が大きく乱れてしまうことがしょっちゅう起こってしまうわけです。

 

それが「奈落」だと思うのです。

 

私たちの心の中に、この「奈落」はいつでも存在していますよね? 

それは何か特別なことではなく、日常生活の中で常にここかしこに体験することだと思うんです。

 

例えば、午前中畑に行こうと楽しみにしていたのに、急な予定が入っていけなくなったとか、銀行の窓口で手続きをしているときに細かい書類がたくさんあって、ものすごく時間がかかってしまっているとか。そんな時、ついイライラして、腹が立って、その怒りをどこかにぶつけたくなってしまいませんか? 

私はしょっちゅうそれがあります。

そして、そんな時にこそ、奈落への入り口がぽっかり開くのだと思います。

 

そしてその奈落というものは、究極的に言えば、心の中にある「不安」からやってくるものだと思うんです。

 

自分でコントロールできない何かって、不安ですよね? 

そして、不安な時には誰だって、我を忘れて普段はしないような言動をとってしまいます。

でも、逆に言えば、そんなふうにまさに奈落に落ちそうになってしまう瞬間に、“私自身”が現れるのだと思います。

普段は隠している醜い自分、人には見せたくない素の自分の姿が露わになってしまうのです。

 

でも……“本当の私”って、誰なんでしょう? 

 

突然現れる醜い自分は、“本当の私”なんでしょうか? 

 

もしそうでないとすれば、“本当の私”はどんな存在なのでしょうか?

 

そんな瞬間に、もしも、動揺している自分にスポットライトを当てることができて、客観的に自分の様子を見つめることができたとしたら、状況は違ってくるのではないでしょうか? そして、ポジティブにとらえるならば、そのような瞬間こそが、普段は無意識の底に沈んでいる“本当の私”を見出し、その声に従いながら行動できる自分に変わることのできる絶好の機会なのかもしれません。

そして、その時にこそ、真の「勇気」が試される時なのだと思うのです。

 

私たち一人ひとりが、「勇気」をしっかり持つことができれば、世の中はきっと変わっていくでしょう。ウクライナも、ガザも、そして国内の閉塞した政治の状況も、私たち一人ひとりが勇気を持つことで、きっと変わっていけるのではないでしょうか?

 

……とは言え、こんなことを書きながら、日常生活の中ではついイラッとしてしまったり、ちょっとした出来事に腹を立ててしまったりして、あとで反省する自分がいるわけですけど……。

 

さて、立春を過ぎ、春の足音が聞こえてきました。新しいことが始まる季節は、もうすぐそこまで来ています。

 

私たちのNARA Steiner Schoolも、いよいよ4月に開校します。

 

すでに入学を決意してくださった親御さんたちは、不安を乗り越え、勇気を持ってここに来てくださったことでしょう。農園を中心としたシュタイナー教育という、まだ形が完全には定まっていない場所に大切な我が子を通わせようと決意されるまでは、きっと長い道のりだっただろうと思います。

 

そのことを思うとき、心の中がとても尊い気持ちで満たされます。そしてそれが、私たちに勇気を与えてくれるのです。

 

手つかずのまっさらな砂浜を歩いて行く時のあの新鮮な気持ちを忘れずに、しっかりと勇気を持って準備をしていこうと思っています。

 

待ち望んでいた春は、もうすぐです。

 

 

2024210

栄 大和

 

2024年

1月

10日

13 丘の上から眺めた風景

年末に、ずっと手付かずだった、田んぼの上にある二枚の小さな畑の草刈りをしました。早くやらなきゃと思いながら、忙しさにかまけてしまってなかなか手がつけられないことって、普段の生活の中でたくさんありますよね? そうこうしているうちにだんだんプレッシャーが大きくなり、そこから目を背けたくなってしまって、結果的にますますおっくうになってしまう……。皆さんもこんな経験があるかもしれません。

 

でも、ようやく重い腰を上げて、草刈機を取って、全体をきれいに刈りました。ホッと一息です。

 

その後、その場所に座って景色を眺めてみたんです。その場所は、農園の中でも一番高い場所にあって、とても見晴らしの良い場所です。そこから眺めてみると、なんかいつもとは違う視点で畑や田んぼの風景が見えてきました。

 

子どもたちが集まるテントは、あのあたりがいいかもしれないな。あそこに果樹があって木陰ができるといいな。あのあたりはハーブや花が咲いていると美しいかもしれない……。

 

普段作業をしているところからだけでは考えつかないいろいろなアイディアが湧いてきます。見方を変えると、新しいアイディアが湧いてくるって言うけど、本当にそうだなと思いました。

 

 

ところで、この年末年始に、私たちの周りではいくつかの出来事がありました。

詳しくは書きませんが、表面的に見ると、けっこうネガティブなことが連続して起こりました。幸いなことに感情が大きく揺れることはありませんでしたが、どうしてこんなに同じようなことが続くんだろうと、ちょっとだけため息をついたりもしました。

 

でも、少し時がたって、それらのことを思い起こしてみると、まるで小高い丘の上から眺めたように、一つひとつの小さな出来事によって生じた結果が、ひとつの大きな風景のように見えてきたんです。そしてそこにはネガティブなものは何ひとつなく、結果的に、進むべき方向に私たちを導いてくれていたことがわかりました。

 

そういうことだったのか、と腑に落ちました。

 

その中で、とても大切なメッセージだと感じたことの一つが、「コミュニケーションをしっかり取る」ということでした。

自分達の活動だけを考えていると、周りにいる立場の違ういろいろな人たちへの配慮をいつしか忘れてしまい、だんだんと横柄になってしまいがちです。

でも、初心を忘れずに、丁寧に、かつこまめに会話をしながら、自分達だけに都合の良いように活動を行なっていないかどうかを省みる。

 

そう考えたら、「コミュニケーションをしっかり取る」ということは、「謙虚さを持ち続ける」ということと一セットになっていることだなぁと感じました。

謙虚さは、日本人の持つ美点のひとつだと思います。でも、そのとても大切なところがおろそかになっていたなぁと痛感しました。気をつけなきゃ。

 

そうして、こんなふうに大きな視点でそれらの出来事を振り返ってみた後で感じたことは、「信頼感」でした。

自分の狭い意識や思考の及ばない大きな力が確かに働いている。それらの働きによって、必要なことが、必要な時に、起きている。

 

素直に、そう感じることができました。

 

ちゃんと守られている、頑張ってねと支えられている。だから、しっかりメッセージを受け取りながら、やるべきことをやっていこう!

 

いつも思うのですが、この時代に必要な方向に向かって進んでいれば、そうして自分の小さなエゴを超えて活動していけば、きっと導かれるところに導かれていく。

こんなふうに感じられたら、安心しますよね?

 

 

というわけで、いろいろな“事件”が起こった年末年始でしたが、結果的に力強い後押しを感じることができて、良かったなと思っています。

 

国内でも、海外でも、胸を痛める出来事が続いています。当事者になられた方々の苦しみ、悲しさ、切なさを思いつつ、そして祈りを送りつつ、私はこの場所で、自分にできることにしっかりと取り組んでいこうと思います。

 

世界がいつか平和になりますように。子どもたちが笑顔で暮らせる未来になりますように。そしてそのために、より意味のある大切な2024年になりますように……。

 

2024110

栄 大和

2023年

12月

10日

12 子どもたちが灯してくれた生命のともしび

かつて藤野で担任をしていた頃、私は、毎日のように、ギターを奏でていました。

子どもたちが帰り、静まり返った放課後の教室の片隅で、その日あったさまざまなことを自分の中に深く沈め消化するために、そして心の奥の本来の自分に繋がるために……。

 

シュタイナーカレッジの教員養成過程を卒業した時、それまでにずいぶんとお世話になっていた故メアリー・エレン・ウィルビーさんが私に向かって真剣な表情でこうおっしゃいました。「シュタイナー学校の担任は孤独だよ。でも、だからこそ何か楽器を手に取り、いつも演奏をしなさい。そうしたら、孤独ではなくなるから……。」

音楽や芸術には、私たちの日常生活を超えることのできる力があります。そうして、その力によってつながることのできる世界こそが、クラスの子どもたちと深く通じ合える世界なのです。私は、そのことを、8年間のクラス担任時代に自分の体験として学びました。

 

 

さて、この1ヶ月間は、たくさんの親御さんや子どもたちが畑にやってきてくださったり、お話をしにきてくださったりしました。体験会としての「うたひめ農園の日」と、入学・転入学のための「お話し会」。私たちはあまり宣伝が得意ではないのですが、いろいろなつながりで、多くの方々が足を運んでくださいました。

 

これまで書いてきたように、私たちはこの一年で、少しずつ、でも確かに、農園での学校の準備を進めてきました。名前も「NARA Steiner School」に決まり、シュタイナー学校や人智学関係のたくさんの方々から、好意的なお声をかけていただきました。具体的なカリキュラムを考えながら、より現実的なイメージが見えてきていました。

でも……、子どもたちが実際に畑にやってきてくれたその日から、そのビジョンがより生き生きと動き始めたのです。

 

 

ある男の子は、田んぼに置かれた足踏み脱穀機を使って、稲の束をしっかり握りながら脱穀作業をしてくれました。大人の人でも躊躇してしまうような仕事に、初めて見たにも関わらず、その子はとても集中して取り組んでくれました。

 

別の子は、2メートルほど下にある用水路からバケツに水を汲んでくれました。どのくらいの量の水だったらロープで引き上げられるだろうかと考えながら、自分の限界に挑戦しながら水を汲み、それを30mほど離れた田んぼまで運んでくれました。

 

一輪車の“運転手”の仕事をやってくれた子もいました。落ち葉がたくさん落ちているクヌギの木などがある林に一輪車を動かして、集めた葉っぱを一輪車に乗せ、それが下り道で落ちないようにと慎重に“運転”しながら、無事目的地の焚き火のところまで辿り着いた時の、その子の満ち足りた顔。

 

高く積まれた薪と落ち葉の山の前に来て、「今から火をつけるよ」と言うと、「えっ、本当につけるの!?」とびっくりしていた男の子もいました。実際にマッチの火がつき、それが燃え移り、火が大きくなっていく場面を初めて見た時の、こわごわとした、でも興味に満ちた表情。

 

そして、出来上がった焼き芋の美味しい匂いをかいだ途端に、パッと輝いた子どもたちの顔、そしてそれをほおばった時の満面の笑み……。

 

畑の中で活動する子どもたちの顔は、本当に生き生きとしています。それを見ると、私の心の中にも、強い熱が湧いてきます。ここを、この子どもたちがより輝ける場所にしていこう、その想いが燃え上がるのを感じるのです。

 

ここに来てくれる○○くんや○○さんのために、より良い活動を作っていこう、そう考えた時に、カリキュラムには命がこもっていきます。

 

まるで、それまで止まっていて、ただ壁にかけられていた絵が、動き出し、色彩がより鮮やかになるように、ここまで準備してきたものに熱い血液が通い出し、生きた存在のようになり、それによって、1年の活動がとても具体的に生き生きとイメージできるようになっていくのです。

 

シュタイナー教育は、「教育芸術」だと言われます。それは、自分達の目の前に来てくれる具体的な子どもたちと魂の奥底でつながり、イマジネーションの力を使って彼らに必要な活動を創造していくプロセスが、日々の教育活動の核となっているからだと思います。

 

藤野で、ギターを弾きながら子どもたちの魂とつながろうとしていたように、今私は、うたひめ農園という場所で、子どもたちの魂とつながろうとしています。

 

畑に、実際に子どもたちが来てくれて、一緒に過ごしたことによって、NARA Steiner Schoolに、尊い生命の火が灯されました。このともしびをしっかり守りながら、より確かなものにしていくことが、ここから新しい年に向けての私たちの仕事です。来てくれた子どもたちの顔を具体的に思い浮かべながら、そしてまだ出会っていないたくさんの子どもたちの顔を思い描きながら、彼らと「地下の通路を通って」つながれるように、準備していきたいと思います。

 

この一年で出会ったたくさんの方々に心から感謝します。2024年が、世界中の子どもたちにとって素晴らしい年になりますように……。

 

20231210

栄 大和

2023年

11月

10日

11 ペーターさんから学んだこと

Farm-based education(行動教育学)を提唱していらっしゃるペーター・グッテンヘッファーさんが10月の末から来日され、私たちも、北海道の「ひびきの村」、十勝の講演に同行させていただきました。十勝では、「コスモス森の学校」を見学させていただき、担任の先生たちとも交流させていただきました。

 

そして、そのペーターさんは、なんと一昨日から今日まで奈良を訪れてくださり、プライベートな時間の中で、たくさんのことを学ばせていただきました。北海道での学びに加えて、そのようなかけがえのない時間を共に過ごせたことは、私たちにとって、とても貴重なものでした。

 

何よりも一番感心させられたこと、それはペーターさんの中にある世界に対する強い興味、関心でした。

 

例えば、法隆寺では、五重塔や金堂などの建物を遠くから、また近くからじっくりと眺め、手で触れ、そしてその中にある仕草を動きで表現しようと試みていらっしゃいました。仏像を見るときには、一つひとつの細部を丁寧に観察し、真似をし、それらの中に隠されている動きやイメージやアイディアを捉えようとしていました。

 

興福寺では、お気に入りの仏像のそばにずっと立ってその美しさを感じ、描写し、共有してくださいました。

 

石舞台古墳では、横から、下から、さまざまな角度で巨石を眺め、触り、感じ、そこにある何かを掴もうとしていらっしゃいました。もともとペーターさんはシュタイナー学校の歴史の教師だったのですが、特に、世界中の巨石のモニュメントにとても詳しい見識を持っていらっしゃいますので、イギリスの遺跡や南米の遺跡などと比較しながら、その意味を説明してくださいました。一般的なガイドブックには掲載されていない特別なアイディアを聴いているうちに、私の心にもワクワクした想いが湧いてきました。

 

ガイドブックの説明に頼ることなく、自分の目で見て、自分の耳で聴いて、そして自分の手で触れ、自分の体を動かすことによって感じる、そんなペーターさんの顔は、まるで子どものように輝いていました。

 

「教育は、自己教育である」−−ルドルフ・シュタイナーはそう言っています。子どもに一方的に教え込むのではなく、共に学んでいく。でも、そのことを本当に腑に落ちて理解するのは、私にとって簡単ではありませんでした。

 

でも、今回、ペーターさんと共に過ごさせていただく中で、私の中にも、世界に対する強い興味、関心が湧いてくるのを感じました。頭で考えた死んだ知識ではなく、自分の全存在を使って世界と出会おうとしていらっしゃるペーターさんのそばにいると、自分にもその生き生きとした熱が伝わってくるのです。世界はなんて面白いところなんだろう、一体どんな力が働いてこんなものができたのだろう、たくさんの疑問が、情熱と共に浮かんできます。それらの疑問は、決して固まった冷たいものではなく、生き生きとしていて、私がそれを解決するのを温かく待ってくれているように感じます。

 

こんな大人の人のそばにいれば、子どもたちはきっと自ら世界の秘密を体験し、学びたくなるでしょう。

 

学び続ける大人がいて、その横で、大人のそんな心持ちを模倣し、学んでいく子どもたちがいる。それこそが、農園の中での核となっていくことでしょう。

 

今回のもう一つの宝物は、同じ道を歩んでいる「仲間たち」に出会えたことです。

 

ひびきの村で、森の学校で、同じような目標を掲げて、そこに向かって歩んでいるたくさんの教師たち、農業従事者たち、そして親御さんたちに出会いました。ほとんどの方々が初めてお会いした方ばかりでしたが、不思議なことに、みんなで輪を作ってペーターさんの話を聴いていると、とてもそんなふうには思えませんでした。それどころか、ここに私たちの仲間がいる、という感情を強く感じたのです。

 

農園ベースのシュタイナー学校というアイディアは、世界中を見渡しても、まだまだほとんど知られていません。ある意味、とても斬新な、理解してもらうのが難しい考えです。それはまるで、目の前に続く細く、長く、険しい道のようです。両側にはたくさんの困難が待っています。いつ奈落に落ちてしまうかわからない、そんな不安や恐れの中にある道だと言うこともできるかもしれません。でも、そんな道を、共に歩んでいこうとする仲間がいる、そう感じることが、私の中に強い勇気の火を灯してくれました。

 

英語で人間のことを、”Human Beings”と言います。「人間」とは固定化された、完成された存在ではなく、現在進行形で変容し、進化し続けていける存在です。

 

自分には、このかけがえのない世界のために、地球のために、宇宙全体のために、できることがある。そのために、自分の手足を動かして貢献していきたい。

そんな熱い衝動を、いつか子どもたちが感じられるように、そのために、今、ここで、私ができることに取り組んでいこう。

そのような強い想いを、ペーターさんとたくさんの仲間たちからいただいた貴重な時間でした。

 

焦らず、怠けず、ゆっくりと、でも確かに、この道を歩んでいこうと思います。

 

20231110

栄 大和

2023年

10月

10日

10 責任感を持つ

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」−−−今は亡き母方の祖父が、この句を大切にしていたことを、子どもの頃よく母から聞かせてもらいました。それ以来、私にとってこの句は、とても大切なものになっています。

 

気がついたら、収穫の秋。地域のあちこちで稲刈りが始まっています。そして、私たちの田んぼにも、黄金色に豊かに実った稲穂の風景が広がっています。

 

 数年前までは憧れに過ぎなかったこの景色。機械の手を借りずに、自分達の手だけで働き、たどり着いた風景。でも、もちろんその過程の中で、たくさんの自然の力、目には見えない働きが助けてくれているのを感じてきました。悩み、戸惑い、周りのたくさんの方々のお知恵や協力をいただきながら、私はここにいます。

 

 ハザ掛け用の竹も、いつもお世話になっている地元の方から分けていただきました。それを、学校を設立しようと考えてきた四人で肩に担いで運びました。枝を落とした竹であっても、1本丸々あるとかなりの重さです。肩にタオルを敷いて、その上に竹を乗せて、肩に食い込む竹の重さを感じながら、何度も往復し、その竹でハザ掛けの準備もできました。

 

 喜びと感謝、自分の力を超えた働きへの畏敬の念、それらを感じながら、赤トンボが飛び交う金色の稲穂が揺れる美しい風景を眺めている今日この頃です。

 

 

 さて、このところずっと農園の中で行うカリキュラムのことを考えています。

 

 この学校の中で、私たちは何を教えようとしているのか? 今の時代に生きる子どもたちに、何が一番大切なのか? 50年後、100年後の未来につながる学校にするためには、一体何が必要なのか? この核のところをおろそかにしていたら、教科の授業も表面的なものになってしまいます。逆に、この大切な観点を踏まえていれば、何を教えていたとしても、それらの背後に通奏低音としての大切なイメージが子どもたちに伝わっていくはずです。

 

 まず考えなければいけないことは、学びは単なる一時的な体験から得られるものではない、ということです。短い間だけ何かを体験して楽しい思いを感じることは、もちろん何もしないよりは良いことだと思います。でも、体験はあくまでも一過性のものであって、子どもたちの体と心に刻み込まれるものにはなりにくいと思うのです。そうではなくて、本当の学びは、実は生活の中にあり、生きることの中にあるのだと私は考えています。

 

小さな子どもを見ていると、歌が自然にそこにあります。動きと歌が、彼らの中では一体になっています。「音楽」体験ではなく、例えば、稲を刈り取りながら、ハザ掛けをしながら、自然に口をついて出てくる歌。それこそが本当の「音楽」なのだと感じます。

 

 作物を収穫する時の喜びの感情は、畝を整え、種を大切にそこに植え、祈りの気持ちを持って土をそっとかぶせ、そこから毎日毎日観察しながらその野菜のことを想う、その積み重ねがあるからこそ心に刻み込まれます。それをいただくときにも、それまでのたくさんの日々がきっと思い出されるでしょうし、そうすると、調理の手も自然に優しいものとなるはずです。もちろん、それをいただくときにも、言葉にはできないさまざまな感情やイメージを共に味わうことができます。それは、決して単なる体験やイベントではなく、生活の中にある深い学びだと思うのです。

 

 10年前、私は無力感の中にいました。

 シュタイナー学校で8年間担任をし、たくさんの学びをした。子どもたちとも尊い時間を過ごさせてもらった。でも、そこから身を引いた自分の中に、一体何が残っているのだろう? 私は何ができるのだろう?

 考えてみたら、食べ物ひとつ育てることができませんでした。毎日食べているお米も、野菜も、魚や肉も、自分の手で働いて得たものではなく、ただスーパーで買ってきたものを無意識に口に運んでいるだけでした。

 授業のために学んだたくさんの知識は、もちろん頭の中や感情の中には残っていました。でも、実際に手を動かして何かを行うということはできませんでした。

 

 そこからたくさんの出会いを経て、私は今、野菜を、お米を自分の手で作っています。

畑での毎日の中には、たくさんの重さがあります。草刈機、バケツの水、一輪車で運ぶ堆肥、土を耕す作業などなど。もちろん心の重さもあります。悪天候が続いたり、真夏の暑い日々が続いたり、計画通りに物事が進んでいかなかったりすると、心は憂鬱になります。今年から始めた稲作には、たくさんの不安が付きまとっていました。

 

 しかし、そんな重さを感じ、それらと日々向き合うプロセスは、私に生きているという確かな実感を与えてくれました。ほんの少しずつではあっても、私はこの大地と関わりを持たせてもらっている。そうして大地がそこに応えて、さまざまなことを教えてくれ始めている。もちろんわからないことが次から次へと浮かび上がってきます。でも、それを考え、感じ、行動することによって解決しようとする道のりの中で、私は、少しずつこの大地と、地球とつながり始めています。

 

 重さとつながること、それは大地と、地球とつながることです。

 

 私たち人間は、重さに憧れて、この地球に生まれてくる存在です。地球上にあるさまざまな重さを味わい、乗り越え、それによってより良い在り方ができるように変容していける存在です。

 

 そうして、大地とつながることによって、そこには責任感が生まれてきます。

 

いったん種を植えたら、それを最後まで見届ける必要があります。草に負けそうな野菜を見たら、周りの草を刈ってあげて、光と風を通さなければなりません。土寄せをしたり、追肥をしたりしながら、野菜や畑を会話をする必要もあります。収穫のタイミングを測りつつ、晴天を願ったり、日照りが続く時には雨が降るように祈ったりします。時期が過ぎ、枯れた野菜は、燃やしたり、堆肥にしたりして土に還します。

この土地を使わせていただいている。だから、いい加減な使い方をしたら申し訳が立たない。そんなふうに感じるようになっていくのです。

 

50年後、100年後の未来を考えたときに、大切なこと。それは、大地と、地球とつながること、そして、そこに責任感を持つことだと思います。そのためには、生活の中に学びがあり、学び全体が地球や宇宙や私たち自身とつながっている必要があります。

 

 シュタイナーがこの世を去ってからもうすぐ100年。シュタイナー教育は、今や世界中に広がっています。でも、ここから次の100年の道のりはかなり険しいものに思えます。 

だからこそ、そのような重さを、今引き受けて、私たちは畑の中のシュタイナー学校をスタートさせようとしています。

2123年の世の中では、みんなが地球を大切にし、かけがえのないそれぞれの個性を尊重し合い、助け合いながら豊かに暮らしている……。そんな風景をイメージしながら、日々の重さと向き合っていこうと改めて決意している、秋の1日です。

 

20231010

栄 大和