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10 責任感を持つ

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」−−−今は亡き母方の祖父が、この句を大切にしていたことを、子どもの頃よく母から聞かせてもらいました。それ以来、私にとってこの句は、とても大切なものになっています。

 

気がついたら、収穫の秋。地域のあちこちで稲刈りが始まっています。そして、私たちの田んぼにも、黄金色に豊かに実った稲穂の風景が広がっています。

 

 数年前までは憧れに過ぎなかったこの景色。機械の手を借りずに、自分達の手だけで働き、たどり着いた風景。でも、もちろんその過程の中で、たくさんの自然の力、目には見えない働きが助けてくれているのを感じてきました。悩み、戸惑い、周りのたくさんの方々のお知恵や協力をいただきながら、私はここにいます。

 

 ハザ掛け用の竹も、いつもお世話になっている地元の方から分けていただきました。それを、学校を設立しようと考えてきた四人で肩に担いで運びました。枝を落とした竹であっても、1本丸々あるとかなりの重さです。肩にタオルを敷いて、その上に竹を乗せて、肩に食い込む竹の重さを感じながら、何度も往復し、その竹でハザ掛けの準備もできました。

 

 喜びと感謝、自分の力を超えた働きへの畏敬の念、それらを感じながら、赤トンボが飛び交う金色の稲穂が揺れる美しい風景を眺めている今日この頃です。

 

 

 さて、このところずっと農園の中で行うカリキュラムのことを考えています。

 

 この学校の中で、私たちは何を教えようとしているのか? 今の時代に生きる子どもたちに、何が一番大切なのか? 50年後、100年後の未来につながる学校にするためには、一体何が必要なのか? この核のところをおろそかにしていたら、教科の授業も表面的なものになってしまいます。逆に、この大切な観点を踏まえていれば、何を教えていたとしても、それらの背後に通奏低音としての大切なイメージが子どもたちに伝わっていくはずです。

 

 まず考えなければいけないことは、学びは単なる一時的な体験から得られるものではない、ということです。短い間だけ何かを体験して楽しい思いを感じることは、もちろん何もしないよりは良いことだと思います。でも、体験はあくまでも一過性のものであって、子どもたちの体と心に刻み込まれるものにはなりにくいと思うのです。そうではなくて、本当の学びは、実は生活の中にあり、生きることの中にあるのだと私は考えています。

 

小さな子どもを見ていると、歌が自然にそこにあります。動きと歌が、彼らの中では一体になっています。「音楽」体験ではなく、例えば、稲を刈り取りながら、ハザ掛けをしながら、自然に口をついて出てくる歌。それこそが本当の「音楽」なのだと感じます。

 

 作物を収穫する時の喜びの感情は、畝を整え、種を大切にそこに植え、祈りの気持ちを持って土をそっとかぶせ、そこから毎日毎日観察しながらその野菜のことを想う、その積み重ねがあるからこそ心に刻み込まれます。それをいただくときにも、それまでのたくさんの日々がきっと思い出されるでしょうし、そうすると、調理の手も自然に優しいものとなるはずです。もちろん、それをいただくときにも、言葉にはできないさまざまな感情やイメージを共に味わうことができます。それは、決して単なる体験やイベントではなく、生活の中にある深い学びだと思うのです。

 

 10年前、私は無力感の中にいました。

 シュタイナー学校で8年間担任をし、たくさんの学びをした。子どもたちとも尊い時間を過ごさせてもらった。でも、そこから身を引いた自分の中に、一体何が残っているのだろう? 私は何ができるのだろう?

 考えてみたら、食べ物ひとつ育てることができませんでした。毎日食べているお米も、野菜も、魚や肉も、自分の手で働いて得たものではなく、ただスーパーで買ってきたものを無意識に口に運んでいるだけでした。

 授業のために学んだたくさんの知識は、もちろん頭の中や感情の中には残っていました。でも、実際に手を動かして何かを行うということはできませんでした。

 

 そこからたくさんの出会いを経て、私は今、野菜を、お米を自分の手で作っています。

畑での毎日の中には、たくさんの重さがあります。草刈機、バケツの水、一輪車で運ぶ堆肥、土を耕す作業などなど。もちろん心の重さもあります。悪天候が続いたり、真夏の暑い日々が続いたり、計画通りに物事が進んでいかなかったりすると、心は憂鬱になります。今年から始めた稲作には、たくさんの不安が付きまとっていました。

 

 しかし、そんな重さを感じ、それらと日々向き合うプロセスは、私に生きているという確かな実感を与えてくれました。ほんの少しずつではあっても、私はこの大地と関わりを持たせてもらっている。そうして大地がそこに応えて、さまざまなことを教えてくれ始めている。もちろんわからないことが次から次へと浮かび上がってきます。でも、それを考え、感じ、行動することによって解決しようとする道のりの中で、私は、少しずつこの大地と、地球とつながり始めています。

 

 重さとつながること、それは大地と、地球とつながることです。

 

 私たち人間は、重さに憧れて、この地球に生まれてくる存在です。地球上にあるさまざまな重さを味わい、乗り越え、それによってより良い在り方ができるように変容していける存在です。

 

 そうして、大地とつながることによって、そこには責任感が生まれてきます。

 

いったん種を植えたら、それを最後まで見届ける必要があります。草に負けそうな野菜を見たら、周りの草を刈ってあげて、光と風を通さなければなりません。土寄せをしたり、追肥をしたりしながら、野菜や畑を会話をする必要もあります。収穫のタイミングを測りつつ、晴天を願ったり、日照りが続く時には雨が降るように祈ったりします。時期が過ぎ、枯れた野菜は、燃やしたり、堆肥にしたりして土に還します。

この土地を使わせていただいている。だから、いい加減な使い方をしたら申し訳が立たない。そんなふうに感じるようになっていくのです。

 

50年後、100年後の未来を考えたときに、大切なこと。それは、大地と、地球とつながること、そして、そこに責任感を持つことだと思います。そのためには、生活の中に学びがあり、学び全体が地球や宇宙や私たち自身とつながっている必要があります。

 

 シュタイナーがこの世を去ってからもうすぐ100年。シュタイナー教育は、今や世界中に広がっています。でも、ここから次の100年の道のりはかなり険しいものに思えます。 

だからこそ、そのような重さを、今引き受けて、私たちは畑の中のシュタイナー学校をスタートさせようとしています。

2123年の世の中では、みんなが地球を大切にし、かけがえのないそれぞれの個性を尊重し合い、助け合いながら豊かに暮らしている……。そんな風景をイメージしながら、日々の重さと向き合っていこうと改めて決意している、秋の1日です。

 

20231010

栄 大和